祖父の死からいろいろ考えた

私の祖父は昨年の夏に90歳で亡くなった。田舎の農家の長男に産まれ、兄弟は皆就職や結婚を機に家を出るも、長男なので家に残り、生まれた家から一度も引っ越すことはなかった。遂には生家で急に倒れてそのまま亡くなった。

祖父は典型的な田舎の爺さんだった。一家の長である自分が一番風呂でないと気が済まないし、台所には絶対立たない。祖母が家事を全てしていた。祖母が入院したときは、娘(私の母)が料理を作り置きしたり、レトルト食品なんかを用意したりしていた。

そんな祖父だが、娘三人は大学や短大まで出していた。田舎なので地元に大学はなく、娘三人にはそれぞれ一人暮らしをさせた。頭の古い祖父のことなので、「女に学問はいらん」などと言いそうなものだが、そんなことはなかった。

おそらく、祖父は子どもの頃に進学したくても進学できなかった悔しさがあったのだと思う。祖父は高卒で就農し、しばらくしてから地元の町役場に勤めたが、通信制慶応義塾フリースクール(?)のようなものに通っていたらしい。大卒資格はもらえないが、科目履修のようなものだろうか。

祖父からは慶応のフリースクールに通っていたことを何度も聞かせられた。民法が難しかったと言っていた気がする。特に私が法学部に進学してからは、その話をよくしていた。同じ法学徒同士で嬉しかったのだろうか。

私は特に祖父には可愛がってもらった。私は初めての孫で、しかも男。祖父の感覚からしたら嫡孫だろうか。前述の通り、祖父には娘しかいなかったので、長女の夫(私の父)を養子に迎えて家を継がせている。家にこだわる祖父は念願の男児の誕生にとても喜んでいたらしい。

私は結婚しているが、現在子どもはいない。妻が子を望んでいないし、私もそこまで子どもに興味が無いからだ。妻が望むなら子作りをしてもいいが、望まないのなら無理にする必要は無いかなくらいに考えている。祖父は毎回会うたびに、子どもを作るなら早い方がいいぞ、と言っていた。私はそのつど適当な返事をしていた。祖父は生きているうちにひ孫が見たかったのだろう。

祖父が亡くなった日、子どもを作らなかったことを初めて猛烈に後悔した。生きてるうちにひ孫の顔を見せてやればよかったと、何度も悔いた。

しかし、祖父の四十九日が終わる頃にはその後悔はどこへやら。無理して子どもを作る必要はないか、と元の考えに戻ってしまった。

おそらく私の代でわが家は途絶えるだろう。祖父があれほど大切にしていた家を途絶えさせてしまうのは忍びないが、子どもを作る気が湧かないのだ。

子無しの我々夫婦がどういう老後を迎えるのか、私にはまだ想像がつかない。妻に先立たれたら、私は天涯孤独になるのだろうか。その孤独に私は耐えられるのだろうか。

だが、子どもがいても面倒を見てくれるとも限らない。ましてや、障害を持った子が産まれた場合や子どもが社会に適応出来なかった場合は、私が一生子どもの面倒を見なければいけない。

おそらく、子を持つべきかどうかに正解はないのだろう。だからどういう選択をしても良い。まぁ、だからこそ、一生悩む羽目になるのだが。

欲しい本

私は今、欲しい本が2冊ある。

1冊目は渡邉恒雄『派閥』である。

自民党派閥についての古典とも言える本で、若き政治記者時代の渡邉恒雄が書いたものである。1958年に発売されたものを、弘文堂が2014年に復刻版として発売した。復刻版は定価は1500円程度だったが、再版していないようで2024年現在、弘文堂のホームページからは購入ができない。

Amazon等で検索すれば古本は出てくるが、いずれも12000円近くまで値上がりしており、なかなか手を出す勇気がない。

一応地元の図書館に蔵書としてあるが、手元に置いておきたいので、なんとか手に入れたい。どうにもならなかったら、諦めて定価の10倍で購入しようと思っている。

2冊目は山中貞則『顧みて悔いなし 私の履歴書』である。

日経新聞出版の私の履歴書シリーズの山中貞則版だ。先日、鹿児島県曽於市山中貞則顕彰館を訪れた際に展示されており、是非とも欲しくなった。

こちらは、Amazon等で検索しても一切出てこず、大学図書館にちらほら置いてある程度である。出版数が少なかったのだろうか。

顕彰館を訪れて、山中貞則が地元ではいまだに慕われていることを肌で感じたため、その足跡を知りたいと思い古本屋をめぐっては探している。

ナベツネの方は金さえ払えば手に入るので、とりあえずは自宅の積読を全て消化してから購入を検討したい。

 

妻への些細な不満

私は妻と二人暮らしだが、風呂場の石鹸とシャンプーの詰め替えは毎回私がしてる。妻は多分一度もやったことがない。

 

どんなに石鹸が小さくなってもシャンプーが少なくなっても、妻は自分では交換しない。疲れてるときに風呂場の石鹸が使えないレベルで小さくなってると、たまに心折れそうになる。

 

別に仲が悪いわけでもないし、妻のことは愛してる。でも、心に余裕がないときは、こういう些細なことでがっくりしてしまう。

 

とはいえ、妻から見たら私にも残念な所はあると思うので、お互い様。詰め替えのことは妻に指摘はしない。これからも私は黙々と石鹸とシャンプーの交換をし続ける。

 

今日はちょっと疲れてたから、ネットの海に垂れ流したくなった。